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地の果て

住むところを決めなくてはならない。パソコンで賃貸情報サイトの間取り図を見比べながら、していることの甘美な無意味さにうっとりしてしまう。いまの部屋を出ることになるのはおよそ1年先だから、どんなに気にいった間取りの部屋があっても、いざ引っ越すという頃にはきっとすべて埋まっているだろう。 予定のなかった休みの日、アラームもなしに出勤に間に合う時間に目を覚ましていたら、徹夜明けらしい友人から寄ってもいいかと連絡がきた。うべなうと、なにか買ってきてほしいものはないかというので、豚ばら肉をたのむ。提げてきたスーパーの袋にカットフルーツと値引きシールの付いたちょっといい牛乳も入っていて、朝っぱらからの来訪をゆるした。受け取って冷蔵庫にしまうとき牛乳は私が飲みますといわれる。ふたりとも朝食はまだで、冷凍うどんをとかして焼きうどんを作る。友人はラグに転がってなにかしている。だれがいつ横になってもいいようにラグがあってよかった。 しゃべっているとそのまま午後になる。牛乳を半分くれるというのでココアを作ることにした。友人にもすすめると、お酒をいれて飲むからいいという。牛乳をふたりぶん火にかけているうちに友人はねむってしまった。部屋をさがすにあたって、労働のことを念頭におかなくてはいけない。長い移動には楽しみもあり、そのぶん疲れもする。移動時間を半径にしてなんとなく丸を書いてみると、いま住んでいるあたりとはぜんぜんちがうであろう土地も見えてくる。まずは可能性として、いちばんかけ離れたところを見てみたくなった。いまから。 友人をゆすり起こして温めなおした牛乳をわたす。遠出するけど付き合ってくれるかというと、暇だからいいですよという。部屋を出ると寒さは思ったよりきつく、厚いコートに着替えに戻った。途中までは定期券の区間だけど、ふだん降りない駅から知らない路線に乗り換えて、北へ向かう。目的の駅に着くと夕暮れどきになっていた。 車線の多い道路の向かいに巨大な集合住宅群が広がっている。幼い頃を過ごしたあたりでは、団地といえば山の斜面などを切り拓いた住宅地のことを指していた。かなりせまい範囲でしか使われていない用例だとあとで知っておどろいた。道路沿いにある集合住宅の根元はスーパーマーケットや自転車屋になっていて、たくさんの暮らしがまとまっているという迫力がある。無数の窓のひとつひとつが、暗いものも明る...

観光

明るくて広い空間に、電気を通せば動くという機械が似たものどうし固められて並んでいる。その多くは遠目に見ると四角にぼやけていくような形をしているから、いっそうぎっしりと敷き詰められて見える。 水の音がする。ひとつふたつの最新型らしいドラム式の洗濯機が、ここで洗うためだけに用意された服やタオルをばしゃばしゃいわせている。その前に子供がいて、左へ右へと回るさまをいっさい動かずにじっと見ている。きっと楽しんでいるのだろうと様子をうかがうと、これでもかというほど険しい表情をしていた。 でも、こんな風に動いているのは少しだけで、ほんとうに電気を通すことができる機械もけして多くはない。ほとんどは機械によく似せられた箱だ。 冷蔵庫を開けっぱなしにすると後でひどいことになるけれど、ここでは冷蔵庫のそっくりさんが扉を全開にされ、抽斗という抽斗をだらしなく引っぱり出されている。ゆるされないことがまさに目の前で行われているようで、じわじわと気持ちがよくなってくる。野菜のにせもの、ドアの内側のこことここにおさまるという大小の缶ビールが刷られたぺらぺらのポップ。2リットルのペットボトルは模型ではなさそう。ぽかんと開いた扉に手を差し入れても冷たくはなく、妙だ。 機械を見ても、機械そっくりの箱を見ても、それぞれどういうものなのかはあまりよくわからない。かわいげのあるツラをしているとか、背が高いとか細身だとか。よく比べたら違うところは少しずつ見えてくるから、眺めていてまったく飽きはこないけれど、それがわたしにとってなんなのだろう。強すぎるくらいの照明をうけて、さまざまに光ってみせる箱や筒や板……。ここにあるすべては、通り過ぎるだけのわたしにはどうしようもない。のろのろと歩きながら、そういう気持ちが観光なんだと思う。もっというと旅のことだと。 でも、はじめはそんなつもりじゃなかった。数年ぶりに引っ越しをすることを決めたからここにきた。来年の2月のことはいまはまだ遠すぎるのか、なにひとつまとまらないまま、いくつもフロアを通り過ぎたら表はもう暗くなっていた。すっかり乾いた傘を差して出る。