柚子湯

冬至だから、柚子湯をやっているという近所の銭湯まで自転車で行く。ひさびさにハンドルに置いた指がどんどん冷えていった。もう何年も手袋を持っていない。たまに乗るくらいの自転車は、雨や砂にさらさないよう部屋の中に置けるものを選んでよかった。

お湯に柚子がぽかりぽかり浮いているほのぼのしたさまを想像していたら、泡と水流の噴き出る湯船の手すりに、地引き網みたいにぎっちり柚子を詰めた網がふたつくくりつけられてうごめいていた。隣にしずかな湯船もあるのにどうして。

網には取り出した果肉や種も入れてあり、匂いはとてもよい。なんどか手元まで網を引き寄せてかぐ。周りの客もときおり手や足でふわふわと柚子の網をいじくっている。ごちそうの大皿をみんなでつついている感じで、ひとつずつ浮いているとこうはいかなかった。

プールや風呂のような大きな水が好きで、滅多なことがなければ自宅の湯舟に日々つかる。銭湯はたまのぜいたくとして欠かせないので、引っ越しのときは近くに銭湯があることを指針のひとつにしていた。

とはいえ、身体の嵩が少ないからか長湯をするのはむずかしい。好きなことと得意なことが食い違うのがこんなにしんどいこともなかなかないと思う。この銭湯は、熱い湯船、きょうは柚子が浮いている泡と流れの湯船、ぬるい湯船、水風呂という豪華な取り合わせになっていて、ぬるい湯船と流れの湯船を行き来すればそこそこの時間を過ごすことができてありがたい。

ぬるい湯船でのんびりしていると正面に面識のある俳人がはいってきた。この人はなんて銭湯が似合うんだろう。というのがまずあって、冬至に柚子湯を浴びにくるとは、俳人は季語の世界に生きているというのは本当なんだろうなという感慨でため息がでる。

くつろぐために来ているだろうし、風貌が以前とけっこう変わっているからたぶんこちらのことは知れていない。マスクをしていない丸腰で話すのもためらわれて、声をかけることなくしばらく湯船を行き来して過ごす。

もう充分というほどあたたまり、柚子の匂いも吸いたいだけ吸ったあと、ゆっくり髪をかわかしながら、出てくるのを待って話しかければいいかと思いつく。そういえばヘアオイルも好きで柚子のを使っていて、すこし過剰なほどになった。

休憩スペースにあまり長居をしないよう注意書きがある。番台に小銭を置いてトマトジュースをもらう。無塩のやつなのがうれしい。空になった缶を手にしたままぼんやり待っていると、番台さんがテレビを消した。早く帰れということかもしれないなと思いながら、フルーツ牛乳を買う。湯あたり気味だったのもあって、ちょっと休んでいるんですという感じを全身から出してみるが、伝わったかどうか。

飲み切ってしばらくしてもかれは出てこない。わたしには無理でもかれは長湯ができそうだというのは当然のように想像できた。閉まるぎりぎりまでいるのだろうか。番台さんに声をかけて玄関を出る。上がってずいぶん待ったにしては、来たときよりも外が寒くなかった。

数日ほどしめきりを破っている原稿をほっぽって来ている。ふだんはしめきりがおそろしくて期日の二週間前などに出しているのに、今回は手がすっかり止まってしまっていた。

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